小さな農業から始める食農 始まりの物語 その1

私が”農業を始めよう!”と思った最初の瞬間は会社員をしていて、研究開発のため府営のベンチャービルで一生懸命フラスコで化合物を合成していました。

その頃までの「農業」に対するイメージは、【何の関心もない!】といったほうが正直かもしれません。

当然のように、フラスコを振っていたほうが月給もいいよね、と思っていましたので。

では何故、農業を始めたのか。その起源は大学時代に遡ります。

学生時代、愛知県名古屋市に6年間下宿していました。下宿マンションの近くに「タチヤ」という激安スーパーがあり、貧乏学生だった私は足繁く通っていた訳ですが、野菜が恐るべき束になって売っているのでどうしても1週間分のまとめ買いしか出来ず、山積する野菜の処理に頭を悩ませながらも楽しく野菜と接する機会に恵まれました。高校生の頃は草花に親しんでいましたが野菜は栽培が難しい事もあり敬遠していた記憶があります。大学に入学して一気に世界が広がったその瞬間に「あ~こんな野菜もあるんだ」と興味が沸いて、料理の幅広がり、食材への興味が深まったのは間違いないでしょう。沢山の野菜に囲まれた貧乏時代があった、それが発端といったところでしょうか。

さて大学も無事卒業し、就職先が決まったと思った途端、地方都市に配置されることが幾度となく続きました。あまりにも地に足をついた生活が叶わなかったのですが、ちょうど2回目の赴任で住むこととなった場所で、ふと昔の事を思い出したのです。「そういや、草花と親しんでいたよな」「そういや、色んな野菜使ってなにか作るの好きだったよな」と。

仕事のストレスや、コンクリとアスファルトに囲まれた毎日に疲れていたのか、今となってはよく覚えていませんが、とにかくその2つが謎めいたつながりを持って私の脳裏に「農業?」となったようです(笑)

ストレスもさることながら、丁度その頃、「働くとはなんぞ?」と悩んでいたのも大きかった様に思います。研究開発職というのは短期的な成果を期待してはいけない仕事ですので、成果を噛みしめながら生きてみたい、という、幸運にも定職に就いているのにも関わらず贅沢な悩みを一丁前に抱えていました。

※この辺は、「依存からの脱却」というテーマで真剣に悩んで文章起こしをしていた時代でもありますので、それもいずれ紹介できたらなと思います。

私は幸いにも離職して農業を目指すという事はまったく想起せず、「農業大学校に行ってみよう!」という結論に落着きました。とはいえ知り合いに農家はいません。色んな事が脳裏に浮かぶ。

働きながらの農業学校?

誰がいるの?どんな格好してけばええの?

幾ら掛るの?(げっ!!授業料年間40万円弱も….)

人付き合い面倒臭い?授業ついていける?

….などといった、今となっては一笑に付したくなるような忌避的な考えが次々と浮かんでどうしようかなぁ~と躊躇していましたが、「私ももう残り少ない20代!今しかチャンスはない!」と、意を決して単身で応募してしましました(結果として、これは最良の選択でした)

そこから基礎的知識はもとより、ノウハウ、人脈、人生の糧となり生業となり、様々な広がりをみせていったという次第です。

そのようなわけで料理の延長上にしかなかった農業も、晴れて私の人生のなくてはならない一部となりました。企業勤めをしながらの農業学校への通学~卒業までの話や、その後のエピソードなどはそれだけでかなりの分量になってしまいますので、個別に記事にしたいと思います。

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2010年代の前半にそのような人生の岐路がありましたが、社会人向け農業学校という選択肢は、それだけで成果を噛みしめながら生きる事と、経済的な豊かさとを両立することが可能でした。しばらくはフラスコを振りながら企業での出世コースを歩む事となります(要務職に就いてからは折衝が多くなりましたが)。

しかしその心の中には”銀の匙”を秘めた「自称」自由なる企業人だったのでした。

自由はかちとるものであって、与えられるものではない。

Georges Braque

とはいえ….。

農業学校によって学んだ経営術を駆使しても、営農して得られる果実は知れば知るほどに専業では無理だと信じるようになっていました。まあ安直には儲かりませんよね。それはどの分野でも同じです。

私が気になったのは、私の中で具体的に”儲かる農業”の全体的イメージがようやく出来上がってきた頃に

「これ、私のやりたいことなんかなぁ」

と感じるようになったことですね。

お金が稼げる農業に魅力を感じないのは、私が我が儘というよりも製造業の現場を知ってしまっているが故と思います。ライン工は大変ですけども、その分利益も生みますし給料がいいものです。ライン生産のような方式で農業するんなら、最初から企業で過ごせばいいんじゃないか、と思うわけです。

農業をする!と最初から意気込んでいなかった人間が抱く甘えなのかもしれません。

とはいえ、私は食から始まり、農業に行き着いた”食農人”ですので、農業生産物の向こう側に人々の食の姿が見えてこないと、これは本当にやりたいことではない、そう思っています。農業大学校の卒業後は、援農したり、自給自足の走り(おままごとのような自給自足ごっこ)、農作物のシェアなどしていました。

通勤電車で収穫プランを考えて、弾丸収穫のちダッシュで通勤電車に戻るなんてこともやっていましたね(懐かしい)。

と言った具合に、仕事をしながら農との付き合い方のイメージを掴もうと模索していました。

よくある話かもしれませんが、頑張って獲得したスキルなり資格なりを活かすにはどうすればいいのか、大げさにいえば途方に暮れていたともいえるのかもしれませんね。

次回はある転機が訪れて本格的に食農の道を歩み始める過程を記事にしたいと思います。

最後まで読んでいただき、誠に有難うございました。

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