頑張りを考察する

  • 2024年1月3日
  • 備忘録

我々は”頑張る”事が大好きです。

子供の頃から叩き込まれてきたし、公教育の場では努力は報われるものだし、頑張ることは評価される、といった事柄を繰り返し教えられます。さらには他者と関わると常に頑張りが求められます。

昨今では日本の国際競争力が低下、また労働生産性は上昇率が2010年代にどういうわけか低下し、諸外国との差は開くばかりとなりました。物価高や貧富の格差などが浮き彫りとなりつつあり、つい十数年前までGDP2位だった頃に比べると日本人のモチベーション低下は著しいとみられます。

このような状況下、私達は頑張っているのに報われない気持ちを抱えがちです。

ではどうして私達は、ジレンマに苦しむのでしょうか。

私は農耕を通じて1の努力は1で帰ってくるというのを実感しています。田畑を開墾し、種を撒き、育て、収穫し、綺麗な形にして出荷する。どのプロセスを切り取ってみても、努力した分だけきちんと見返りがあるように思います。

日本人は稲作によって育まれた農耕民族だとはよく言われることですが、頑張れば報われるだろうという気持ちもまさにここから来ているように思えます。

一方、現代日本人の多くが依存している働き方は企業勤め人です。そして、会社が利益を生み出すまでの過程はとても狩猟的に思えます。というのも、既に軌道に乗ってしまった会社運営を目の当たりにすると実感が沸かないのですが、その黎明期には商品サービス開発に対して不断の努力がなされていた訳です。新規事業の立ち上げも同様ですね。

もうすこし具体例を挙げてみていきましょう。

研究開発において「死の谷」という言葉があります。これは、開発を開始して利益を生むまでに、およそ20年の歳月がかかるということへの比喩です。事業を軌道に乗せるまでには努力が実らない、報われない長い時代があるのですね。言うまでもなく、着想を得てたちまち一朝一夕で具現化するわけでもないですし、そもそもシーズニーズマッチングが成功するかどうかも分かりません。一生日の目を見ないまま、アイディアは暗礁に乗り上げてしまうかもしれません。誰にも将来儲かるかなんて保証はできないというのが当然の事です。

この長い暗いトンネルを大勢で歩む時に、私達は何を果たして頑張れば良いのか見通せなくなることもあるでしょう。そこは皆を率いる経営者の手腕です。彼がいなければ明日、私達は寝食ままならなぬかもしれないし、またはそうでないかもしれない。稼ぎ”続ける”という行為は常に冒険なのです。

狩猟というのはこのプロセスに似ている。獲物を得るための一連の仕事は、獲物が目の前に現れる機会を得るため、または獲物を仕留める為にあるといえるでしょう。

以上のように、会社勤めをしていても「誰か」が、常にリスクをとってエスコートをしています。

私達が、一時間でも長く仕事を続けようとも業務効率を向上させようとも(追い風にはなると思いますが…)この俯瞰的状況は何一つ揺るぎません。

ここに”頑張る”というのが果たして全体の動きに呼応しているかどうかが問われるのです。

無論、それを考えるのが組織というものです。私達は組織の指示に従って従順に働くことを、なんら卑下することもない。但し、頑張っているから頑張った分、組織が思惑通りに動くわけでもないのです。その根拠に乏しい相関を無意識的に実在すると想像してしまうから、徒労感、むなしさ、やるせなさ、「報われない気持ち」が発生してしまうと考えます。

先に述べたとおり、農耕では1つ1つの努力が成果に結びつく確度を十分に秘めています。その長き文化的背景の下で、私達は全く性質の異なるプロトコルを実行している訳ですから、心理的な矛盾を抱えてしまうのかなと考えました。

もちろん、経営という観点では農耕もある種の冒険、リスクといった性質を抱えている訳ですが、そこは法人であれば経営者が、家族経営であれば事業主が状況を鑑みて将来の収穫を見越したアクションプランを都度指示してくれますので、大元では似たところもありますが、農耕と商品サービス提供とでは、そのリスクの程度や頻度が異なるケースも多いでしょう。

話は変わりますが富士通には池田敏雄という方が在籍されていました。初期の国産コンピューターの研究開発を手掛けた功労者ですが、非常に優秀な方ながら破天荒な一面もあり、会社にいないと思ったら温泉に入って熱燗を飲んでほろ酔い気分でのんびりしていた、しかしリラックスしたら何日も不眠不休で図面を引いていたそうです。

私自身は池田さんを非常に尊敬していますが、それはさておき、この方の時代には月給制度というのがほとんど認知されていなかったんですね。するとこれほど超優秀なのに給料が出せない。幾ら規則とはいえそれではあまりにも気の毒だということで、池田には月俸をやることにしろ、と決まったのが現在主流であるサラリーマンの給与体系だと言われています。

滅私奉公的に頑張る、少しでも会社の発展に寄与すべく効率化を図るというのが優れた勤務態度であることはいうまでもありませんが、会社の利潤確保のち給与支払いというのが先であり、決してその逆ではないことに留意が必要です。「私達の生活が保障できないのは困る」として給与を求めるのは、本来は確実に保障されることではないのです。

話をまとめると、私達は潜在的に”頑張る事こそ所属先の発展に繋がる”と想像しますが、企業の収益には違った力学が働いていますので、想像が具体化するというのがまず根拠なきこと、次に、自分の持ち味をその力学に順方向に寄与する形で提供するのが効果的な「頑張り方」なのかなと思います。

具体的には、毎日1時間ずつ残業するという頑張りの体現が果たして適当な行為なのかと分析することも重要です。本来残業は上意下達で指示されるものですので、給与保障としてみなすこと自体が誤りです。

社会に安定した給与の確保といった指向が浸透していますが、いかなる事業もある一時点に向けて資源を投入して利益確保するというのが原則ですから、その采配が私達の生活の安定をもたらしてくれているという感謝の念もまた、備わって然るべきかと思います。

また、本来は最も重要だと思うのですが、事業経営を得意とする人材をとにかく国内に増やすことが重要であるということですね。彼らは収益確保して、安定して分配する方法を苦心してくれる貴重な存在です。経営が出来る人で従業員が出来ないと言う人はまあいないけれども、従業員として働いていた経験しかない人が経営を迫られても中々出来ないものです。鍛錬の問題、そもそも才能の有無等、ありますから。

閉塞感漂う中で報われない気持ちというのは余計ネガティヴに拍車がかかりますが、構造を理解すること、打開するには今の我々には(上述してきたような事を起点に)何が必要なのかという視点を持つことが大切だと思います。

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